yomoyama

本誌ネタバレ 前にてがろぐで書いてた自分の解釈との答え合わせをぶつぶつしてるだけです
多分自分しか分からないハチャメチャな言語化……
生き物としての線引きは合ってたと思う。表現が、というか線引きする対象が違ったというか。
(私の言う)孤独=孤高としての線引きを自らしてたんだな。ふむふむ。だから個人主義ふむふむ。
五条悟が五条悟である以上、生き物との線引きは何においてもされるし本人もそう思ってたんだな。私が「してない、もしくはしてることに気づいてない」と感じてたのはそれこそ『情緒においては』だったかも。寂しさとか、愛情を感じる部分においては線引きしてない。同じ生き物。でも『肉体的・能力的・性能的には』違う生き物だと線引きしてた。と表現する方がしっくりくるかも。
で、孤高ではあるけど孤独じゃなかった。この言語化が私はできてなかったな。孤高=孤独だった。いや「もう誰も一人にさせない」の台詞でそう解釈してたわけなんだけど、五条悟の孤独は夏油傑と出会って解消されて、その後また孤独となって、でも夏油傑以外の人間でnot孤独をちゃんと得ていたんだろうな。情緒的に。彼を亡くしたことによる慢性的な虚無感はあっただろうにしろ。
でも、孤高は変わらないんだ。だからこれまでの私の言葉で総括すると『情緒としては孤独ではないけど、生き物としては孤独』。人間と心を通わすことはできる化物ということですね。アレ?七海あたり同じようなこと言ってない?これ。当たり前な言語化になってしまったな。
なんやかんやで五条悟の世界は『自分』と『自分以外の生き物』でしかないんだよな、呪術師である限り。術師だからそれが全てなんだもの。そんで私は上記を今までは夏油傑レベルでしか考えたことなくて『自分(に近しい夏油傑)』と『自分以外の生き物』の世界だったのかなってぼんやり考えてたけど、夏油傑は入ってなかったのかもしれない。妬いてたし。いやこの台詞は夏油傑の主観だけども。本人はそう思ってたのかしら?「二人で最強」が「一人でも最強」になっただけだった?どうだろ。でも夏油傑を自分の格下と思う瞬間がコンマ一秒でも生まれたらもう格下になっちゃうだろうなぁ。
話が逸れた。まぁ人間の線引きって曖昧だし、思考がAからBになる時だってほとんどが実はグラデーションみたいなところがあるから、兎にも角にも五条悟は28年間を通して今現在『自分は孤高』と自覚していたわけで、そんな28年間を最期肯定していったなら私はもう満足なわけですよ。

ただ会えなくなるのはマジで寂しいッッッ!!!!!close
#juju
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