yomoyama

意味のない日々を記す意味について#日記

いつものことなんだけど日記をつけ始めてしばらくすると「こんなものに何の意味が……」になってしまって今それ。
もちろん言語化の練習でもあるんだけど、こうやってすぐ虚無ってしまうのは多分自分自身に虚無ってるからではないかと仮説を立ててみた。自分自身に意味を見出せないからこそ虚無ってしまうという話。
でもそれならやっぱり自分自身を俯瞰したり振り返るためにも日記は続けた方がいいのではと思う。意味が見出せなくてもどうにか生きた日々は確実にあって、それを無碍にしたり何もなかったことにするのはそれこそ虚無に繋がると思うから。

つまりは本日割と虚無な日なんだけど、そんな日もあるしそんな日を生きたしそんな日でもいつか振り返れば「あったなー」って笑えるんだろうから、ちゃんと残しておいてもいーんじゃない?って思ったよ。何につけても人間の営み、愛していきたいもんね。
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