yomoyama

忍たま映画の話

雑渡さんが「恨むなら私だけを」と言ったの、Twitterで人様の感想読んでたら『タソガレドキと忍術学園の戦を避けるためでは?』という感想があってなるほどーとも思ったけど、やっぱりあのシーンでは『己の未熟さを恨むな』の方が近いんじゃないかなぁとぼやきたい。
※この解釈は間違ってる!と言いたいわけではなく、ただ自分の思考をまとめて垂れ流したいだけです。深読みオタクなので。

だって雑渡さんは【タソガレドキ忍者隊の組頭】として天鬼を始末しに行くわけでしょ?そこの責任はちゃんと取ると思うんだよね、タソガレドキ側の人間として。忍術学園に肩入れはしているけど、タソガレドキのためなら土井先生を殺すことも全然厭わない人だよ。
だから『タソガレドキを恨むな』は私の中では違和感があって、しかもあんなかっこいいシーンで暗に『忍術学園と敵対したくない』と明言するか?という疑問もある。というのも私は雑渡さんのことただの小粋なナイスガイだと思ってるので敵対したとて「その時はお互い出し尽くそうね。負ける気ないけどね」みたいな気持ち良さがあるくらいではと思ってるのです。ナイスガイなので。タソガレドキとして自信もプライドもあるだろうし。

手も足も出ない、膝をついてあるいは這いつくばって見上げることしかできない状態で見逃されて、利吉くんは頭がいいからすぐ「手を抜かれた」と思ったことでしょうよ。そして、雑渡さんもまた然りだと思う。彼らは自身の未熟さに深く絶望していることだろうと。だから、『このあと私は土井殿を殺すことになるかもしれないが、恨むならここで止められなかった自分の弱さではなく、私だけを恨みなさい』と。
とどのつまりやっぱりあのシーンは圧倒的強者であり年長者が、折れることもままある若枝を気遣ったシーンではないのかなと思うのです。
さらに深読みすると少しばかり教鞭をとった感想である「勉強させてもらった」を体現したシーンなのではと思いたい。組頭だからそもそも人材育成はやってきたんだろうけど、忍者のいろはも知らなすぎるは組を相手にしたことで忍たま以上ベテラン未満の若い才能の未来を考える余地が雑渡さんの頭の中にあったのではっていう。

いややっぱり分かんないなもう一回観に行かないといけないな(真顔)
close
RSS

or 管理画面へ